「江藤淳と少女フェミニズム的戦後」を読む

 何年か前、サバは死んでいったい大島弓子はどうなっちゃうんだろうと勝手に心配していたら新しい猫を飼い始めて、また新しいエッセイまんが「グーグーだって猫である」を書き始めた。そこでファンであるぼくがほっとしたのは大島弓子が新しい猫グーグーを猫の姿に描いていたことだ。それまで大島弓子のまんがではサバは人間の姿で描かれていた。みけんにちょっとしわを寄せて、いつも大島弓子と対話をしていた。それはまるで彼女の世界がサバによって支えられているかのようにも思えて、つまり、だからファンとしてはサバが逝ったらどうなっちゃうんだろう、と心配だったのだ。けれども新しい猫はただの猫として描かれていて、その擬人化されていない猫の絵が大島弓子がサバの死を通して乗り越えたものがなんだったかを物語っているように思えた。こんなふうに書いていいのかわからないけど、それは江藤淳が乗り越えられなかったものではないか。犬をただありのままの犬として飼うことを江藤淳はやはり受け入れられなかったように思うのだ。  
 ガンを告知された大島弓子は思いのほか、淡々としていた。入院する前に彼女がまずしたことは二匹の猫(一匹ふえている)の面倒を友人に頼むことで、彼女は手術で自分に万が一のことがおきたら自分のマンションをあげるので猫の世話をしてくれと頼み、遺言状を書く。大げさと思われるかもしれないが彼女のガンが第三期だと後にわかるのだ。
 手術は成功し、化学療法入院を経て大島弓子は退院するのだが、ガンとの闘病記のわりにはこのエッセイはあまりに淡々としている。確かにまんがの中の彼女はショックを受けたり右往左往しているのだけれど、その日常はとても安定している。なんというか、ひどく強いのだ。それはちょうど『妻と私』「幼年時代」の脆さとも対照的である。

大塚英志江藤淳と少女フェミニズム的戦後』所収、「犬猫に根差した思想」)

猫と暮らすことを通して、生活することの強度について語る大塚英志のこの文章が自死した評論家、江藤淳の死を悼むものであることを考えるとなんともやるせない気持ちになる。それは江藤が決して持ちえなかったものであろうからだ。大塚はその事をこんなふうに示す。

駅のガード下で浮かない顔をして手には包帯をまいている。わたしのことを気がつかないんですね。タクシー乗り場に歩いていくおじさまをつかまえて、どうしたんですかと訊いたら、実はメイちゃんに噛まれてね……と。四月の終わりぐらいです。獣医さんと相談して、あの子を残しておくのはセンチメンタリズムだと言って、そんなセンチメンタリズムはもう捨てたほうがいいんだとおっしゃって、お嫁に出してしまった。

(府川紀子「可哀想な、おじさま」)

 上手くはいえないんだけれどそのままずるずるとだらしなく犬と暮らすようなところがあれば江藤淳は死ななかったんだろう、と思うと同時に、犬を選んだ段階でそれはある種の潔癖さの現われみたいなところがあるから、老犬と老いていくという人生はやはり江藤淳にはありえなかったんだろうなとも思う。犬と暮らすセンチメンタリズムを断念した江藤がけれども「幼年時代」というセンチメンタリズムに崩れていったのはどうにも痛ましいが、そんなふうに退路を断ってしまうのが江藤淳の思想だったから仕方がない。

(同上)

一貫して、「戦後」という甘美な「虚構」を拒否し続けた江藤が最後には「江藤淳」でも「江頭淳夫」でもなく「江上淳夫」として自らの「幼年時代」を語りだす、そしてそんなふうに甘美な「虚構」に閉塞していく自分に自らの手で始末をつける、その「潔癖さ」はとても美しいのだ。美しいからこそとても物悲しい。そんなの違うじゃないか、と大塚は記さずにはいられない。ぼくもそう思う。そんなの違うのだ。そんなことを断じて認めてはいけないのだ。
ただ「ありのまま」のものに向き合うのは、そんなふうに江藤ですら耐え切れなかったほど辛いことなのだ。だからぼくらは、例えばいつまでたっても「ありのまま」の歴史に向き合えず、甘美な「虚構」に浸ってしまう。しかし、その「虚構」の脆さ、その「虚構」が「何か」を崩してしまうことこそ江藤が許さなかったはずのものではないのか。
だからただ「ありのまま」の猫と向き合える、そんな生活は強いのだ。


そんなことで、ぼくの家にもしばらくの間、猫がくることになった。その前に部屋を片付けなくちゃね。