金田さんが拒否してること

前回のエントリへの留意事項。 - 記識の外

ちょっと斜に構えた姿勢でこのことを見るのならばおそらくこう言ってしまう口の悪い人もいるだろう。「何を意固地になってるの?どうせ宮台センセの言ってることなんていつものフカシでしょ?」*1
それはもしくは、まあ論壇プロレスのさらにゴシップ的な見方としては正しいのかもしれない。ぼくはまったくそうは思わないけど。宮台先生の言ってることをフカシだなんてなんて失礼な!!
しかし、金田さんが「意固地なっている」ように見える原因はただそういうことに還元されることではないようにぼくは思う。統計で立証できるほどの根拠はもちろんないから、偏見の趣くままになぜそう思うかを書いてみたいと思う。
ぼくはこの金田さんと宮台先生の断絶は二人のことばが違ってしまっていることにあると思うのだ。宮台先生のことばは、どこかで決定的に論壇のことばでしかなくなっているのだ。それは宮台先生のことばというものは常に言論市場にさらされているということを考えればわかると思う。それは例えば株式のようなもので、「宮台真司」という銘柄があり、それの価値が上がるか下がるかで価値を競い合うゲームに常にさらされているというようなことだ。言い方は悪いが、「動員」のための方法としてそういうゲームにのってきた宮台先生にすれば、やはりそういうゲームに響くのはインパクトであるというのを心得ているはずだ。現実の株式においても大きく値上がりをしたり値下がりをしたりするのは、ニュース性のある銘柄であるのと同じように。そのために物言いは常に「イメージ・メイキングな」ものになる。それはやはり、論壇でのゲームのことばであるのだ。ぼくは例えば宮台先生のいう「天皇」にしろ、そのようなことばの中で生まれ出でたもののように思う。
金田さんが拒否しているのはまさしく、そういうものであるのだと思う。それはその場で響くことばではない、と金田さんは言っているのではないか。金田さんが論壇のことばに対して引いた線とは何か。厳密な学問としての社会学、である。金田さんはおそらく、宮台先生がゲームのことばを持ち込んでくるのを断固として拒否しようとしているんだ。そのことばはゲームの外では無効だと。
そうなると、少し難しい問題のように思えてくる。大して関係はないかもしれないが、初期の「ブルセラ学者」としての宮台真司の「すごみ」は「フィールドワーク」だったことを連想してしまった。吉本隆明がそれを見て「すごい馬鹿が出てきた」と思ったように、その「すごみ」たるや、やはりすごかったんだろう。当時を知らないぼくには想像でしかないが。

もともと論壇や文壇は、サブカルチャーに手を出したり、若者文化におもねって、「そこに新しい論壇がある、そこに新しい文学がある」と戦後一貫してやってきたわけです。自戒を込めて言ってしまえば、ぼくにしろ、宮台真司にしろ、香山リカにしろ、いわばオシャレでクール(ま、ぼくがそうかはおいといて)な論壇を自己演出するために、外から呼ばれていった人間にすぎないという、忸怩たる事実があるわけですね。ただ、そういう八十年代的な手口によって、つまり表面的な差異化によってことばを延命させていくことが、実はいかにことばを信じていないか、ということは反省したほうがいい。

大塚英志憲法力」)

大塚英志は、「社会学サブカルチャー化したのは宮台真司の登場のあたりからではないか」というようなことも言っていたように思うが、やはりサブカルと論壇と社会学に接合点を作った宮台先生のエポックは大きい。そのかわり、社会学がその(サブカルや論壇との)境界線を失いつつあるようにも思えるのだ。宮台先生のエポックがあまりに大きすぎたからこそ、その後の北田や鈴木が宮台と同じようなところから出発しなければならなかったように。その宮台へのカウンターが金田さんなり、ネットを引き払ってしまった鈴木なり、なんだと思う。
ことばの響かない社会学でもなく、しかし宮台のように超越性に侵犯さえしてしまうサブカル化してしまった社会学でもないオルタナティブな道を社会学は模索しているのではにか。しかし傍目で見ていて、その道はまだまったく見えてこない。新しい人たちがそんな道を見つけられたとき、新しい社会学は始まるんだろうな、と思う。まあ、社会学はやはり門外漢なのでなんとも言えないが。

*1:やっば、やりすぎた

「江藤淳と少女フェミニズム的戦後」を読む

 何年か前、サバは死んでいったい大島弓子はどうなっちゃうんだろうと勝手に心配していたら新しい猫を飼い始めて、また新しいエッセイまんが「グーグーだって猫である」を書き始めた。そこでファンであるぼくがほっとしたのは大島弓子が新しい猫グーグーを猫の姿に描いていたことだ。それまで大島弓子のまんがではサバは人間の姿で描かれていた。みけんにちょっとしわを寄せて、いつも大島弓子と対話をしていた。それはまるで彼女の世界がサバによって支えられているかのようにも思えて、つまり、だからファンとしてはサバが逝ったらどうなっちゃうんだろう、と心配だったのだ。けれども新しい猫はただの猫として描かれていて、その擬人化されていない猫の絵が大島弓子がサバの死を通して乗り越えたものがなんだったかを物語っているように思えた。こんなふうに書いていいのかわからないけど、それは江藤淳が乗り越えられなかったものではないか。犬をただありのままの犬として飼うことを江藤淳はやはり受け入れられなかったように思うのだ。  
 ガンを告知された大島弓子は思いのほか、淡々としていた。入院する前に彼女がまずしたことは二匹の猫(一匹ふえている)の面倒を友人に頼むことで、彼女は手術で自分に万が一のことがおきたら自分のマンションをあげるので猫の世話をしてくれと頼み、遺言状を書く。大げさと思われるかもしれないが彼女のガンが第三期だと後にわかるのだ。
 手術は成功し、化学療法入院を経て大島弓子は退院するのだが、ガンとの闘病記のわりにはこのエッセイはあまりに淡々としている。確かにまんがの中の彼女はショックを受けたり右往左往しているのだけれど、その日常はとても安定している。なんというか、ひどく強いのだ。それはちょうど『妻と私』「幼年時代」の脆さとも対照的である。

大塚英志江藤淳と少女フェミニズム的戦後』所収、「犬猫に根差した思想」)

猫と暮らすことを通して、生活することの強度について語る大塚英志のこの文章が自死した評論家、江藤淳の死を悼むものであることを考えるとなんともやるせない気持ちになる。それは江藤が決して持ちえなかったものであろうからだ。大塚はその事をこんなふうに示す。

駅のガード下で浮かない顔をして手には包帯をまいている。わたしのことを気がつかないんですね。タクシー乗り場に歩いていくおじさまをつかまえて、どうしたんですかと訊いたら、実はメイちゃんに噛まれてね……と。四月の終わりぐらいです。獣医さんと相談して、あの子を残しておくのはセンチメンタリズムだと言って、そんなセンチメンタリズムはもう捨てたほうがいいんだとおっしゃって、お嫁に出してしまった。

(府川紀子「可哀想な、おじさま」)

 上手くはいえないんだけれどそのままずるずるとだらしなく犬と暮らすようなところがあれば江藤淳は死ななかったんだろう、と思うと同時に、犬を選んだ段階でそれはある種の潔癖さの現われみたいなところがあるから、老犬と老いていくという人生はやはり江藤淳にはありえなかったんだろうなとも思う。犬と暮らすセンチメンタリズムを断念した江藤がけれども「幼年時代」というセンチメンタリズムに崩れていったのはどうにも痛ましいが、そんなふうに退路を断ってしまうのが江藤淳の思想だったから仕方がない。

(同上)

一貫して、「戦後」という甘美な「虚構」を拒否し続けた江藤が最後には「江藤淳」でも「江頭淳夫」でもなく「江上淳夫」として自らの「幼年時代」を語りだす、そしてそんなふうに甘美な「虚構」に閉塞していく自分に自らの手で始末をつける、その「潔癖さ」はとても美しいのだ。美しいからこそとても物悲しい。そんなの違うじゃないか、と大塚は記さずにはいられない。ぼくもそう思う。そんなの違うのだ。そんなことを断じて認めてはいけないのだ。
ただ「ありのまま」のものに向き合うのは、そんなふうに江藤ですら耐え切れなかったほど辛いことなのだ。だからぼくらは、例えばいつまでたっても「ありのまま」の歴史に向き合えず、甘美な「虚構」に浸ってしまう。しかし、その「虚構」の脆さ、その「虚構」が「何か」を崩してしまうことこそ江藤が許さなかったはずのものではないのか。
だからただ「ありのまま」の猫と向き合える、そんな生活は強いのだ。


そんなことで、ぼくの家にもしばらくの間、猫がくることになった。その前に部屋を片付けなくちゃね。